国歌・国旗義務でない

国家の品格とか安倍さんの本(安倍のは読んでないけど)とか,ナショナリズムが盛り上がりを見せるここ最近ですが,この判決は衝撃です.

「国歌を歌いたくない,だから歌わない」.ジャイアン!?思わずそう思ってしまうわけですが,日本国憲法にある思想の自由とはそういうものです.だから,国に雇われ税金で飯を食わせてもらってる教員たちも,自分たちが国歌を歌いたくないという理由で,馬鹿みたいに時間のかかる裁判を起こしたんでしょう.なるほど思想とは素晴らしきもの,守られるべきものだ.生徒が犠牲になっても,職務を全うするよりも,己が思想を主張しなくてはならない.

この件に関する現在の私の見解としては,「国歌ぐらい我慢して歌えよ」ということです.そんな偉そうに主張するようなことでもないと思うし,大体この問題が生徒にどれだけ影響を及ぼしてるのか分かってない.学校は勉強するとこですよ.おっさんの思想を主張するところじゃない.金をはらって勉強しにきてる人たちが,そんなことで何らかの影響を受けることは不条理です.教員がジャイアンなら,生徒はのび太です.

一方で,思想の自由は当然守られるべきだとも思います.まあ,ここで思想の自由を持ち出すのはどうかとも思います.というのも,国歌を歌いたくない人たちに,その理由を導く立派な思想があるとは思えないからです.それはそれで置いとくとしても,そもそも国歌を歌いたくないというような,俺らに根付くむず痒さの根幹は,大東亜戦争の敗戦にあるんでしょう.つまりこれはアメリカの戦略ですよ.それ以外に理由なんかありません.まんまと嵌められてるわけです.ですが依然として,やはり「歌いたくない」という思想的な側面をもった欲求は守られるべきなんでしょう.ですから,これは証明も反証もできない命題です.歌うべきか歌わざるべきか,決定するのは難しい.裁判所はそれを決めなきゃならないので,大変です.

ただ,これだけは言っておきたいんですが,もし誰かが道でぶっ倒れたら,誰かが救急車を呼んでくれて,病院で治療を受けることができます.これは国のお陰です.私たちが当たり前だと思っていることが,当たり前でない場所も,この地球にはたっくさんあります.国歌を歌いたくないという人は日本がどれだけ素晴らしい国なのか分からないんでしょう.井の中の蛙、大海を知らず,知ろうともせず,井の中でダダをこねる.そう思ったりもしてしまいます.要は,文句付けるには,それなりの知識が必要だということです.ただ「嫌だ嫌だ」というのは馬鹿です(馬鹿でも思想の自由が守られるのがそもそも大問題だ).批判するには同意する以上に対象の理解が必要です.国歌を歌いたくないという人は,日本の敗戦とそれに伴うアメリカの政策とか,諸国における国歌の立場とか,どうでも良いようなことをたくさん知ってなければなりません.しかも先生なんですからね.

ところで,今年のハンガリーGPで君が代が流れたときには,なんて良い歌だろうと思いました.あんなに涙腺が緩む歌は,他にはドラクエの序曲しか思い当たりません.