我々は自殺をどう扱うべきか

2006-11-15

id:deqさんからトラックバックがあったので相変わらず自殺の話です。

過去2回に渡って、「自殺は悪じゃない」という主張をしてきました。それと共に、「(一般的な)社会が社会として自殺を止める必要はない」という主張もしましたが、これについては改めて書きます。脳みそが足りません。

改めて断っておきますが、deqさんは主に私の「(一般的な)社会が社会として自殺を止める必要はない」という主張の反論を書いているのであって、このエントリの話は「今の日本社会が社会として自殺を止める必要はない」というものです。なので、当初の話から軌道修正していることをお許しください。これは私が今一番言いたいことです。2回書いてやっとここにたどり着きました。

私がここで問題にしたいのは、多発する自殺に対して、今の日本が社会として望むべき態度についてです。これに関する主張としては、以下のdeqさんの思いに対する私の思いが全てです。

僕は,僕を殺そうとする人を止めてくれることが嬉しいのと同じように,僕が自殺しようとするのを止めてくれることが嬉しいですよ。自殺しようとしていたら引き留めてくれるような社会に僕は住みたいですよ。もし僕の子供が自殺しようとしているなら,何がなんでも止めさせて,手を差し伸べますよ。もしその場に僕がいなければ,社会がその役割を担ってくれることを望みますよ。僕はそのような社会を作りたいと思いますよ。

僕は,僕を殺そうとする人を止めてくれることが嬉しいのと同じように,僕が自殺しようとするのを、ただ止めることを嬉しいとは思いません。自殺しようとしていたら、ただ、引き留めるだけの社会に僕は住みたくありません。もし僕の子供が自殺しようとしているなら,何がなんでも止めさせて,手を差し伸べます。もしその場に僕がいなければ,社会がその役割を担ってくれることを望みます。ですが、その役割を十分に担わず、ただ自殺を止めるだけのような行動は全く望んでいません。僕は、社会全体が、一人一人の自殺志願者に十分なアフターケアを果たすことのできる、また、そもそも社会問題に因む自殺自体が起こらないような、そんな社会を作りたいと思います。

自分が死んだ後に、自分の子供が自殺しようとしているのを、社会を止めること自体は良いことではありません。子供がそれによって自殺を思い留まったとして、それからの彼の人生が良いものになる保障がないからです。だから、「死ぬのをやめろ」と言うなら、それにしっかりと責任を伴わせなければなりません。それはその人のその後の一生に関わる巨大な責任です。これがしっかりと果たせる社会は本当に素晴らしいものだと思います。ですが現在の日本には、他にも目を向けなくてはならない問題がたくさんあります。一人の自殺志願者を止めることができても、北朝鮮に核を落とされたら日本は大ダメージです。自殺対策は彼らの一生に責任をとれるくらい十分余裕ができてから行うべきです。しかし残念ながら、私にはそのような社会が存在するとは思えません。

自殺した方が良いとは一概に言えないのと同様に、自殺しない方が良いとは一概には言えません。自殺を止めるなら、それが結果的に良いこととなるよう努力しなくてなりません。個人レベルではそれが可能でしょうが、現在の日本社会には、それを行うだけの余裕がないと思います。自殺を止めた後のケアが果たせないなら、死なせてあげる方が自殺志願者にとって良いことなのではないでしょうか?社会としては、現状それが最善策なのではないでしょうか?

もしそうなら、今の日本社会は、「死ぬのをやめましょう」と言わずに、「死ぬのをやめさせてあげましょう」と言うべきです。そしてもっと根本的に、「いじめをやめましょう」とも言わなくてはなりません。それが出来ていないのが問題だと私は主張したいのです。私たちは、他人が死ぬのを止めて彼らのその後の人生を保障できるほど、余裕のある社会で生きてはいません。