利己的な遺伝子

こないだ誕生日だったのでブラっと本屋に行って自分に本でも買ってやろうと思ってたら,大変面白そうな本を見つけた.その名も「利己的な遺伝子」.この本自体は大層有名な本だそうで,発刊30周年記念とやらで生物の分野の棚に大きく置かれていた.俺が買った奴も,30周年記念版みたいなかっこ良い奴だった.

利己的な遺伝子 <増補新装版>

利己的な遺伝子 <増補新装版>

内容は進化生物学の話で,自然淘汰が行われるレベルは,種でも個体集団でも,さらには個体そのものですらなく,遺伝子なのだというものである.この本は30年前に書かれたものだが,恥ずかしながら,私は所謂「群淘汰」を固く信じていた.これはつまり,自然淘汰が群のレベルで行われるということである.主観的な比喩を用いれば,「個体(ヒトとかダックスフンドとかセキセインコなどなど)が死ぬことになっても,個体の集団が生き延びれればおk」ということを,各個体が考えているかのように淘汰が行われるということになる.全くそうなのだと思ってた.だから動物の中には,自ら進んで犠牲になるような奴がいるんだと.そいつの一つの命が失われても,他の数十の仲間の命が救われるなら,なるほどその群に関しては有利だとおもっとった.

この本はひたすらに,それは違う,個体は遺伝子が操る乗り物に過ぎない,自然淘汰は遺伝子レベルで行われるんだと主張するものである.そしてある遺伝子が生き残っていくために必要なのは,冷酷な利己性だというのである.そしてそれは実際に正しいらしい.この本はほとんど前提知識なしに読める.けれどそう主張する根拠は整然と論理的に語られていて,納得せざるを得ないくらいだ.簡単に言えばむっちゃ面白い.信じられない面白さ.群淘汰を信じる人には是非読んでもらいたい.

ついでにこれだけは言っておきたいのだけれど,この本を読んで否定的な意見をもった読者から苦情が来たらしい.利己的な遺伝子理論が正しいとすると,仲間殺しや親殺しが十分に納得のいくもの,つまり遺伝子にとって利益のあるものになるような状況が存在する.そこで,「そんなこと言うな」とか「そんなこと知らなきゃ良かった」という人がいるわけだ.だがこの本をちゃんと読めば分かることがある.それは,親殺しを良しとせず,盲目的にそして利他的に子供を愛するヒトこそ,これまで地球を支配してきた利己的な遺伝子に対抗する初めての存在だということである.我々がこの意識をもって,倫理観を生み出したことは,どんなに遺伝子が利己的であろうと変わらない事実であるはずだ.だから利己的な遺伝子理論を認めたとしても,もちろん,しかるべき状況なら親を殺すべきだなんていう考えには及ばない.それこそ素晴らしいものだと思う.

自然は神秘に満ち溢れているし,それはめちゃくちゃ美しいとも思う.たぶんそれはゴッホの絵を見て綺麗だとかいうことと同じだ.利己的な遺伝子の存在も,私が今まで見たことのないゴッホの絵を見つけたに過ぎない.だがヒトのもつ倫理観は,きっと自分たちで絵を描くことに喩えられるのだろう.芸術を鑑賞する喜びと,芸術を創造する喜びは異なる.私たちは創造できる.他のいかなる生物も抗えない遺伝子の束縛から逃れ,もっと別の目的をもって生きてるように思う.その目的は「幸せ」という言葉に集約できると思うが,幸せの定義は曖昧だ.だから,こんなに個性的でかけがえのない人間に溢れている.遺伝子がいかに利己的で,彼らの繁栄しか考えていないとしても,我々はそれに簡単に負けたりはしないのだ.だからこの本を読んで分かるもう一つのことは,ヒトが例外なく,いかにかけがえのない存在であるかということだと思う.